熊野三山
熊野三山
(くまのさんざん)は、
熊野本宮大社
、
熊野速玉大社
、
熊
野那智大社
の三つの
神社
の総称です。
熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強く、
2004
年に、「
紀伊山地の霊場と参詣道
」として、
高野山
などとともに
ユネスコ
の
世界遺産
(文化遺産)に登録されました。
熊野神社は日本全国に約
3
千社あるそうですが、その
熊野神社
の総本社だそうです。
熊野詣で!とは?
平安時代
後期、阿弥陀信仰が強まり
浄土教
が盛んになってくる中で、熊野の地は浄土と見なされるようになったそうです。
その後、
民衆も熊野に頻繁に参詣するようになり、俗に「蟻の熊野詣で」と呼ばれるほどに盛んになりました。
「熊野古道」は、一つの道と思っていましたが、熊野詣をする道がすべて熊野古道なのだとわかりました。
熊野本宮大社
(くまのほんぐうたいしゃ)
古くは「熊野坐(くまのにます)神社」という名で呼ばれていました。熊野三山の中心で、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮です。
速玉と那智を略して本宮だけを「熊野詣で」を済ますこともしばしばあったことからも、本宮が熊野三山の中心であることがわかります
鳥居の前に立つと、まず、大きな八咫烏(やたがらす)の幟が目を引きます。
八咫烏は熊野権現の使い。三本足の烏です。日本サッカー協会のシンボルマークでお馴染みですね。
鳥居をくぐり、杉木立のなかの石段へ。
石段の両脇には「熊野大権現」と書かれた奉納幟が立ちならんでいます。
158段の石段を登りきると、正面に神門があり、向かって左手のほうには真新しい礼殿が見えます。
今回は、ゴールの熊野本宮大社に愛車を駐車して、中辺路(なかへち)コースを行ける所まで行き、もどってくることにしました。
結局、本宮大社→祓所王子→三軒茶屋跡(九鬼ヶ口関所)→伏拝王子→三軒茶屋跡→祓所王子→ゴールの本宮大社
歩いた距離は約7Kmほど、すべてが石ころのガタガタ道、30分に一組の歩く人に会うぐらいのさびしい山道であったが、すがすがしさを感じる熊野古道歩きでした。
詳しくは、ここ!
熊野速玉大社
(くまのはやたまたいしゃ)
本宮が、檜皮葺きの古色蒼然とした社殿であったが、速玉は、
鮮やかな朱塗りの鳥居、社殿と派手やかであった。
どこか、宮島と似た感じがしました。
境内に入ると、大きな木の下で写真を撮ったり、おみくじを結んだりしている人を見かけました。
何だろうか?と近付いてみると、日本最大、樹齢
1000
年ほどと推測される梛(なぎ)の大樹が枝を広げていました。
ナギは熊野権現の御神木で、その葉を笠などにかざすことで魔除けとなり、帰りの道中を守ってくれると信じられていたそうです。
もちろん!・・・・・・・
熊野那智大社
(くまのなちたいしゃ)
熊野那智大社に近付くと、「駐車場500円」の看板と、呼び込みがあちらこちらから。
結局、行けるとこまで行き、土産物店の駐車場に入れる。これが正解でした。
土産物店が軒を連ねる参道の石段を10分ほど登っていくと
、
標高約500mにある那智大社および青岸渡寺の境内にたどりつきます。
那智大社からは滝を見ることはできませんが、青岸渡寺からは見ることができます。
那智大社のすぐ隣に、
西国三十三所霊場の第一番札所の「
青岸渡寺」があります。
左の写真に、那智の滝が写っていますがわかりますか?
青岸渡寺の現在の本堂は、織田信長の焼き討ちにあったのを豊臣秀吉が再建した桃山様式の建築で、南紀最古の建築物です。重要文化財に指定されています。
青岸渡寺から那智の滝口までは、古道を30分ほど歩くと到着します。
水量はまずまず、雨が降った後ならもっと凄かったのでは?と思いました。
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玄忠寺
鳥取市新品治町
2010年3月18日、社会福祉協議会の研修旅行で訪れた。
荒木又右衛門
の墓がある寺で有名なのですが、名前は知っているものの詳しくは知らなかった。
ここで質問!
日本三大かたき討ちの一つだそうですが、
残りの二つは?
「
鍵屋の辻の決闘
(かぎやのつじのけっとう)」とは?
境内には、墓と荒木又右衛門遺品館があり、実際に決闘に使われた太刀や鎖かたびらなどが飾られています。
それ以上にすばらしかったのは、高木百拙[たかぎひゃくせつ]筆の羅漢襖絵が44枚あり、竹筆を使って墨一色でのびやかに描かれ、鳥取の方言で描かれた羅漢達が味わい深く語りかけます。
町なかの小さなお寺であるが、観光客が多くおられ、住職さんが専属ガイド役で頑張っておられました。
又右衛門の墓、ふすま絵、鶴亀を配した庭など見どころがいっぱいありました。
「怒るな」「怠けるな」「嘘つくな」自分にな! 最後の庭石が笑顔に見える? どこから見ても・・・・・
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us
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宇佐神宮
別府・鉄輪温泉に行く途中に「宇佐神宮」の表示があり、寄ってきました。
行った日が正月の日曜日であったので、人・ヒト・ひと。 伊勢神宮には負けますが大きな神社でした。
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玄忠寺